当研究室の歴史
研究室の沿革と組織
農学部6学科時代
当研究室は、岐阜農林専門学校時代(1944年)の林産製造学講座にまで歴史をさかのぼることが出来る。本講座は、その後の学制改革により名称を変え、林学科林産化学講座を経て、1967年に木材化学講座となった。川村一次教授は、林産製造学講座の初代教授として就任されて以来、1977年に定年退職されるまでの33年もの長い間、本講座を担当した。1967年に樋口隆昌助教授および島田幹夫助手が新設の樹木生理化学講座(現在の天然物利用化学研究室)に移り、新たに篠田善彦助手(名古屋大学大学院農学研究科修了)が採用された。その後、10年間に渡り、川村教授、篠田助手の2人体制により講座は運営されていたが、1977年の川村教授の退職に伴い、東京教育大学より田島俊雄教授が赴任した。1980年には、稲葉助手の3人により講座は運営されていたが、1984年に稲葉助手が東京芸術大学に転出し、再び2人体制となった。篠田講師は1981年に学位を取得し、助教授に昇任、さらに1988年の学科改組に伴い教授となった。本講座において実施された研究は、木材中の主成分であるリグニンの化学構造及び生合成研究に始まり、広葉樹材リグニンの不均質性についての研究、パルプの物理特性に関する研究、きのこ栽培における培地特性というように非常に多岐にわたった。
農学部4学科時代
1988年、学部改組が行われ、当研究室は生物資源利用学科・生体高分子化学研究室となった。1988年11月に篠田助教授が教授に承認され、1989年3月に田島教授が退職され、1990年4月に京都大学木材研究所より棚橋光彦助教授が着任し、リグニンの重合機構の解明および高圧水蒸気を用いた木材の爆砕や圧縮成型加工、繊維の形状固定の研究を開始した。1991年4月に連合農学研究科が発足し、その初代専任教員として篠田教授が移籍された。1991年12月に重松幹二助手が着任し、1992年4月に棚橋助教授が教授に昇進した。その後1996年教養部の廃止に伴って葭谷耕三助教授が教養部から移籍されて、当研究室は開発学講座から分離し、生物機能工学講座から分離した微生物工学研究室および食品科学講座から分離した食品素材工学研究室と共に、生物反応工学講座を開設し、バイオマス変換学講座と名称を変更して木材主要成分であるセルロースの結晶構造及び広葉樹リグニンの生合成機構の解明、ヘミセルロースの疎水性相互作用を利用した疎水性物質の水への溶解挙動の解明、コンピューターシミュレーションによるリグニンの反応性解析などの基礎研究から、高圧水蒸気を用いた爆砕処理や木材の圧縮成型加工、高圧水蒸気蒸留による精油成分の効率的抽出法の開発、天然繊維の形状記憶などの応用研究まで広範囲な研究を行ってきた。
1998年10月、重松助手が助教授に昇任し、1999年4月から棚橋教授と重松助教授は工学研究科環境エネルギーシステム専攻の協力講座としてバイオマス変換システム学講座を併任することになった。主に環境を考慮した資源循環型社会の構築に向けて、針葉樹枝葉からの精油成分の抽出とその有効利用法および木材からのバイオマス燃料創生に向けて研究を行っていた。2006年3月に重松助教授は福岡大学工学部へ教授として栄転され、また2008年3月には連合農学研究科の篠田教授も定年退職された。
応用生物科学部2課程1学科時代
2004年、学部改組が行われ、当研究室は応用生命科学課程に属することになった。棚橋教授が2013年に退職後、同年に寺本好邦准教授が着任し、葭谷准教授との2名体制となった。2017年に葭谷准教授が退職し、本研究室の教員は寺本准教授1名のみとなった。この間、セルロースを基盤にした高分子機能材料およびリグニンの構造に関する研究が行われた。2019年に寺本准教授は京都大学大学院農学研究科に異動した。2020年2月に京都大学生存圏研究所より鈴木史朗准教授が着任した。2022年4月、研究室の名称をバイオマス代謝化学に変更し、ヘミセルロースの一種のキシランの生合成機構や腸内細菌による分解、ノルリグナンの生合成、リグナンの腸内細菌による変換、企業との連携による「竹プラスチック」の開発など、植物バイオマスの生合成、分解、利用に関する幅広い分野で研究活動を進めている。
応用生物科学部4学科時代
2025年、学部改組が行われ、当研究室は応用生命化学科に属することとなり、現在に至っている。